おばあちゃんの死。
おばあちゃんの死。
もし、おばあちゃんが生を全うしていなかったら、
母親も、そして、私自身も生まれてきてないわけだ。
そんな事を考えてていたら、感謝でしかない。
そりゃぁ、小さい時にたくさんお世話になったのだから、当然悲しみもあるけれど。
私の歳も30になり、お葬式に行く回数も少しずつ増えてきました。私自身、何かしら、残さなければならない。
そして、当たり前のように呼吸をして、運動したり、仕事をしたりしているけれど、それは当たり前ではない。
一瞬、一瞬が偶然である。数秒後の未来はどうなっているかわからない。
だからこそ、今一度、目の前の出来事や出合いなど真剣に向き合わなければならない。大切にしなければならない。
感謝しなければならない。そんなことを葬儀中、ずっと感じてました。
メメント・モリ、ラテン語で、死を想えという意味です。
20歳ぐらいから、この言葉を大切にしています。
人間いつか死ぬ。でも死ぬからこそ、逆に生きているのである。
死ぬことがないならば、生きてはいないことになる。それだけは平等である。
死ぬときは、あれをしておけばよかった、これをしておけばよかった。
それだけは、言いたくないなと。
おばあちゃん、本当にありがとうございました。
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