父親業がスタート。
子どもが生まれてから、妻が妻の実家にいたのですが、数日前に、一緒に住むようになりました。
それまでは、定期的に、私が新幹線で、妻と子どもに会いに行ってました。
数日前から、妻と子ども(3ヶ月)が妻の実家から帰ってきて、3人暮らしの生活へ。
妻は、昔腰の手術をしていたり、出産時に1Lの出血をして、調子がまだまだ回復していません。
専門家にも見ていただいたのですが、相当出産時のダメージが大きいみたい。
とはいえ、普通に、歩いたり、家事などもできるのですが、顔色があまり良くないので、無理は禁物です。
家事をサポートしないと!!
家にいるときは、一人暮らしのように、生活していたのですが、妻と子どもが帰ってくると、時間の使い方が本当に難しい。
目標として、
◯朝と夜は、料理を作る&作り置きレシピを覚える。
◯部屋の掃除や子どもの面倒を見る。
◯仕事の時間を極力、短く。今までと同じ以上のパフォーマンスを出せる環境を考え、作っていく。
あと、私が得意なところ、苦手なところがあり、妻にも得意なところと苦手なところがあるなと。
よく怒られるのは、物をぐちゃぐちゃにしまってしまうところ。
整理(物を捨てること)は比較的できても、整頓、物を収納する能力が0なので、怒られる。
長所と短所、うまく補いながら、やるのがうまくいくなと。
いろいろ、文句を言われると、一人の時は本当に楽だったなと思いつつ、子どもの笑顔で、本当に癒されるなと。
まだまだ、生活に不慣れですが、6月ぐらいになると、少しは落ち着くと思います。
そうしたら、妻、子どもと一緒にぜひ、ご飯食べたり遊んだりしてください。
こけしブーム?こけしのWeb戦略を考えてみた
昨日、飲み会の席で、こけしがブーム?みたいな話になった。
もし、こけしのWeb戦略を頼まれたら、どうするか考えてみた。
まず、こけしは本当にブームになっているのか、調べてみた。
第三次ブーム!こけし好き女子、通称こけ女が急増中。全国こけし祭り情報も!
「仙台弁こけし」も...2017年「こけしブーム」が東北から到来?
たしかに、そのような記事もあった。
では、全体的に、こけしの検索が増えているのか調べてみた。
調べる時はGoogle trendを用いた。
実際のところ、検索キーワードの検索自体あまり爆発的に増えていない。
少区域別のベスト5をみると
1位: 宮城県
2位: 青森県
3位: 福島県
4位: 山形県
5位: 岩手県
という結果になった。
やはり、こけしは印象通り、東北が強いなと。
実際の検索数をキーワードプランナーで見てみると
意外と、検索ボリュームが多く月に100万〜1000万検索されていた。
ライバルの広告をみると、あまり広告がない。
あまり広告がない場合、考え方が二つあって、
- そもそもの市場やニーズがない
- ライバルがやっていないからチャンスと捉えるか
伝統的なものなので、Web戦略をあまりやっていない可能性はある。
基本的にライバルがいたほうが、Webサイトは伸びやすいと思っている。
ライバルのいいところを参考にしつつ、自分の持っている強みを出していけばいいので。
一旦、マネタイズを考えず、いかにして記事が見られるのかを考えてみる。
コンテンツを作っていくのであれば、こけしの中にもいろいろな種類があるので、よく検索されているキーワードから、記事を作っていく戦略をとるかなと。
例えば
かわいい こけし など、よく検索されているので、
かわいいこけし、ベスト5みたいなタイトル記事を作っていくのがいいのかなと。
一旦こけしから離れて、外国人が喜ぶお土産
など。
Web戦略をたてるとき、人の悩みはお金を落しやすいです。
- 病気
- 結婚
など
嗜好品はなかなかお金を落しづらいです。
他にも、予防系はお金を落しづらいです。
今、困っているわけではないので。
そういう意味では、こけしのWeb戦略は長期的に、仮説と検証を繰り返していかないといけないなと。
本の出版で一発屋にならないためのWeb戦略
夢の本の出版が決まった!!しかし、その後、この1冊書いた後、続かず、仕事にも困っている人がいる。
その一方で、本を1冊書いただけなのに、何年も全国を飛び回り、コンサルやセミナーで引っ張りだこの一がいる。
この違いは何だろうか。
ちょうど、二人とも知り合いだったので、遠回しに聞いてみたり、調べてみた。
ホームページやブログを見ていると、
一発屋の方は、本の出版までは、ブログを多く更新していた。ただ、その後、更新はほとんどなかった。
引っ張りだこの方のブログを見ると、更新頻度が高く、ホームページやブログやメールマガジンなど全てをうまく活用していた。
独立して、重要なのは、営業。営業が全てと言っても過言ではない。
ただ、営業には、時間が取られる。
一発屋の方は書籍出版後、忙しくなり、それなりにセミナーなどがあり、全国を飛び回っていたのだけれども、その結果、営業する時間が全くなくなってしまった。
だからこそ、依頼も尻窄みになってしまったと反省していた。
引っ張りだこの方は、うまく、ホームページやブログを使って、自分自身の分身を作っていると言っていた。
だからこそ、忙しいときは、まずホームページやブログの更新の時間を取るとも。そして、ブログやメールマガジンで発信し続けることで、信頼を深めていると。
結局、独立して、長く仕事をしていくためには、常に情報を発信し続けることが大切なのだなと。
このような事を書くと、当たり前なことなのですが、当たり前の事を当たり前のようにこなしていかないと、結局尻窄みになってしまう。
Webはすごい。どこかで、ちゃんと見ている人がいる。
全くみてなさそうな人が「あの記事良かったね」と言ってくれることもある。
そういう事を言われると、少しでも人に役立つ記事を書こうという気持ちになる。
アメブロを持っている方へ。URLをhttps://にして、確認してみよう。プラグインとか大丈夫?
過去に書いた記事。
http://ameblo.jp/◯◯◯/
を
https://ameblo.jp/◯◯◯/
にして、自分のブログを確認してみよう。
今現在、httpでもhttpsでも、どっちでもアメブロは使える。
将来的に、https://しか使えなくなる可能性が高いので、今のうちから、プラグインとか画像とか、表示されるのか、確認しておこう。
表示されていないものがあったら、対応策を考えよう。
使える、プラグイン、使えないプラグインは過去記事を参照してください。
藤井聡太四段がメディアを騒がしていることに思うこと。
私の趣味の一つが将棋。
私の母まで、藤井四段の事を知っていたことにびっくりした。
今の将棋の名人は誰か?という質問に多くの人は答えられないだろう。
ちなみに、羽生さんではない。羽生さんは、今現在、名人と竜王以外のうち、タイトルを3つ持っているので、羽生三冠と呼ばれている。
答えは佐藤天彦名人、貴族と呼ばれている男である。
さて、話を戻すと、藤井聡太四段はトッププロを相手に、快進撃を続け、デビューから、現在16連勝中。
非公式戦ながら、羽生三冠、佐藤康光九段(現在の会長)、深浦九段というA級棋士(将棋界の中でトップ10人)を撃破しているのがすごい。
野球でいえば、高校1年生がプロ相手に、完封勝利しているような感じ。
羽生三冠以上の天才はもう出てこないと思っていたら、びっくり。
棋譜(どっちが勝ったか、どういう将棋だったのかがわかる記録のようなもの)も見ていますが、終盤ほぼ間違えないので、それが本当に凄いなと。
藤井聡太四段が負けた棋譜を見ると、序盤、中盤で、差が出てしまったものが多い。
藤井聡太四段に勝つには、終盤までに、リードを保てるかどうか。それぐらい、終盤が強い。
指せば指すほど、強くなっている。そして、何よりも謙虚。普通の14歳、15歳なら、調子に乗るだろう。
「羽生さん?正直残念でした。。。」とか、そんな事一切言わない。
世間が騒いでいても、勝負が始まれば、目の前の一手一手に集中している。
将棋界は、去年、暗い話題(スマホ不正問題)があり、それが世間を賑わしていたので、明るい話題は大歓迎。
富士五湖118kmの後遺症で早起きに。
第27回富士五湖118km無事に完走することができました。
その代償として、3日目ですが、
左アキレス腱が腫れててまだ痛い。
マメが潰れて剥がれて、むき出し状態なので、歩くために激痛。
1日目、2日目は歩くのすら、困難でした。
ようやく、少し歩ける状態になりました。
あと数日は回復第一優先で、歩きをメインにしたいと思います。
足以外を鍛えるいい時期なのかもしれません。
また、富士五湖118kmは朝4時スタートだったので、どうも、朝早く起きてしまうようで、3時ぐらいには目が覚めてしまいます。
当分は早寝、早起きな生活になりそうです。
第27回富士五湖118km完走しました。72km地点でリタイア未遂
写真をみると、ボロボロですね。
マラソンをして、はじめて涙があふれたのは、はじめて100kmを完走をした、
富士五湖100km。
当時は、去年サロマ湖100kmを40kmでリタイアし、もう一生、100kmは完走できないのではないかと、絶望していました。
当時は毎回、30kmで膝を痛めてしまいます。膝は基本的にはトレーニングがあまりできない部位なので、厳しいなと。ずっと悩みながら、トレーニングや走り方のフォームを変えて、臨んだので、格別に嬉しく、涙があふれました。
その後、100kmや砂漠を走りましたが、涙はでませんでした。感動はしましたが。
今回、最初の20kmは非常に調子がいいなと思ってました。
最初の時、Hさんにも会うことができました。仮装して、走れちゃうのが本当にすごいなと。
悪くても、60km地点まではサブ10を目指せるぐらいのペースにはなるだろうと予感していました。遅くても100km11時間ぐらいになるかなと。
結果、最悪で、よく完走できたなと。
10km地点で、靴のソールが一部壊れた。後々、アキレス腱の腫れや膝の痛みやマメが両足に4つでき、ソールが壊れた部分のほうの足は、マメが潰れてぐちょぐちょでした。
約15km地点に服を脱ぎ捨てるサービスがあり、脱ぎ捨てました。
これが最悪の結果を及ぼし、走っていても、風が冷たく、体温が上がらず、体が全く動かない状況になりました。日中、もう少し温かくなる計算がハズレでした。
低体温症の二歩ぐらい手前ぐらいな感じでした。
そんなことがあり、30kmから40kmのラップで既に1時間10分。
40kmから50km地点では、72kmに挑戦した、仲野整体の仲野さんに会うことができました。
走りながら、いろいろと雑談し、並走することで、1時間3分まで、戻しました。
最終的に制限時間を考えると、ここで仲野さんに会えたのも、運が本当によかったと思います。
ついていけなくなり、1時間27分とかなりの時間がかかっています。
そして、とうとう、60kmから70km地点では、1時間36分もかかっています。
頭の中で計算して、このままのペースでは、全く完走できないので、72km地点でリタイアを決意。
不思議で、70km地点で、100kmにエントリーしていれば、あと30kmだから、頑張ろうという気持ちになるのですが、118kmだと、まだフルマラソン以上の距離が残っていると思うと、心が折れました。
ちなみに、電話で妻にリタイアするわーと言っておいたので、妻が次の日、完走したことを知って、少し驚いていました。
そして、次のエイドで、リタイアの申告したら、ここはバスが来ないので、次の大きなエイドでリタイアしてくださいと言われました。
しょうがなく、あと3km移動したのですが、制限時間が30分余ってました。
リタイアしますと言ったら、まだ、時間があるし、多少元気そうだから、本栖湖一周すれば?と言ってくれたので、そんなものかと思って、走り始めました。一周なので、同じエイドにたどり着くことができます。
とはいえ、走り始めた時、エイドから、どんどん離れていく自分。
・非常に辛い状況なのに走っている自分
・今のペースでは完走できないという辛さ
・リタイアするのも本栖湖1周しないとどうしようもできない感じ。
様々な感情が湧き出て、もう、戻るのも大変だと思った時、自然と涙がでてきました。サングラスをしているので、他の人にはわからないとは思いますが。
とはいえ、このエイドが分岐点で、自分の荷物を置くことができました。
夜に備えて、上着を入れておいたのが、本当によかったです。ここから、普通に汗をかくことができ、徐々にペースを元に戻すことができました。
90kmから100km地点は1時間7分までペースをあげることができました。
98.9km地点で、関門6があるのですが、流石に100km走ってリタイアとか、もったいなさすぎるだろうという欲にかられ、そして、ここで、完走できそうだなと感じました。
とはいえ、もうこの地点で、左足のアキレス腱が腫れていました。アキレス腱って腫れることをはじめて知りました。
残りは、時計を見ながら、完走タイムに遅れないように、計算し、ほぼ歩き、走るのは極力避けながら、なんとかゴールにたどり着きました。
タイムは最終ゴール5分前でした。
寒い中、一緒に走った宮崎さんと仲野さん家族が出迎えてくれました。
本当に心から、感謝いたします。感動して、ついウルウルと。。。ありがとうございました。
次の日、、、もう全く動けませんでした。過去最高に、ボロボロです。
洗濯物を干すのも一苦労です。アキレス腱は大事にしないといけません。。。
普通に何度も、弱気になり、一度は完全に諦め、でも最後はなんとかたどり着き、
本当に不思議な境地です。もし、その場でリタイアできてたら、確実にリタイアしていたわけで。。。
100km以上のレースは何かしら、絶対に起きますね。何もないことはまずない。その中で、どうやりくりするかが、100km超の楽しみ方なのだと思います。今まで、制限時間を気にしたことなんて、なかったのですが、今回は、逐一確認しました。
もう2度と走りたくないと思っていたのですが、誘われたら、また次走ろうと思います。