マラソンを走れば走るほど、自分を追い詰めていく?
柴又100kmマラソンを走ってきました。
結果は50kmで終了となってしまいました。
細かい振り返りは後とします。
最近、何のために、マラソンをしているのだろうと考えてしまいます。
そんなきっかけを与えてくれたのが、ひなのさんの記事。
一から読まないと、関連がわかりづらいので、上から順番に読んでいくといいでしょう。
この中に、ドキッとする言葉が多いです。
ランナーに多いですが、
走っても状況が改善しない場合、
走る事での変化は難しいので、
さらに走るのは逆効果です。
ランナーズハイというのもありますが、
頑張ってる自分に酔っている、
みんなが凄いと言ってくれる、
そんな無意識が働いて
目的がすり替わってしまっている場合が多いです
これを見て、はっ、としてしまいました。
恥ずかしいけれど、これ、私の事かもしれないなと。私の身の回りの人だと、こう感じている人も多いかもしれません。
何のために100kmとか、砂漠レースとか走っているのだろうかと。
- 本当に好きで走っているのか?
- 見栄で走っているのか?
- みんなにすごいねって言われたいから?
- 自分の限界を超えたいから?
- 弱い自分から脱却したいから?
- 一緒に走っている人が素敵な人が多いから?
- 負けたくないから?
- そもそも走るのが好きだから?
今、自分が走っている意義を考えています。
こうやって、洗い出してみると、うーん。
承認欲求もあるのだけれども、弱い自分を認めたくないというところからきているのかなと。マラソンはずるできないスポーツだから。
結局は日々の積み重ねがダイレクトにでます。
努力をすることももちろん、大切なのだけれども、できない自分に焦りすぎて、自分を殺してしまうのはよくないかなと。
今は、自分の出来ることを洗い出して、「よくやってるね!」って認めてあげるところから、再度スタートしたいなと思っています。
そして、最低限できるところからやっていきたいと思っています。