将棋は運動と一緒だったことに今更気づき、変化をしていく大切さ。
最近、羽生さんの書籍を読みます。
単純になぜ、羽生さんは強いのだろうという疑問です。
情報化社会
棋譜という棋士が打った記録が残っているので、それを瞬時に手に入れることができます。
だから、単純にそれを学んでいけば、真似ることができるので、強くなることができそうな感じがします。
次にテニスを考えます。テニスコーチが2人に同じ指導の仕方をします。
それでも、人によって、フォームは違ってきます。それは、人によって、身長や体格、感性など違ってくるからです。
将棋と運動は全く別の物だと思っていました。
なぜなら、歩という駒を打つ。そして、打つ場所を指定して、全く同じだとします。
これだけであれば、私が打っても、羽生さんが打っても全く変わりはありません。
でも、どこに打つか、人によって、考え方や感性で変わってきます。
そして、それは、なかなか習得が困難であるということ。実は簡単に真似できそうで、真似ができないのです。
ブログも一緒で、コピペはできる(コピペしてはいけません)。しかし、
ブログに書かれた裏側の思考や考え方はなかなか伝えることが困難です。
結局、何を言いたいのかというと、3点。
1.情報自体の価値は下がっている。
昔は情報を得て、真似さえすれば、そこそこ勝てていたと思います。
でも、瞬時に誰もが情報を得られるようになり、簡単に真似されてしまう時代。
どの分野でも、日々変化していかないといけないなというお話でした。
2.思考や考えはなかなか真似ができないということ
3.変化が激しい世の中。その変化に気づけるか。
そして、変化を楽しめるかどうかが勝敗の鍵なのかなと思っています。